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『エリザベート』(11) 一番わからないこと
実は根本的なところが分からないのですけどね…
最後、結ばれたかに見えるエリザベートとトート、抱き合って同じメロディーを歌いながら、全然違うこと言っているのは、どういうことなんでしょうか。 ♪泣いた 笑った くじけ 求めた むなしい闘い 敗れた日もある <ここから二重唱> それでも私(お前)は命ゆだねる …私(俺)だけにー 結局、エリザベートの命はどちらにゆだねられるのでしょう? よく分からないのですが、トート閣下の顔はうれしそうなんですよね。 ここで、二人の最初の出会いを思い出してみます。確かトートは「お前の命奪う代わりに 生きたお前に愛されたいんだ」(愛と死の輪舞)と言っていました。 あ、なるほど。 劇中、エリザベートがルキーニに刺されたあと「連れて行って闇のかなた遠く…」と死を受け入れたことが、「トートへの愛を示した瞬間」ということになっているのね。彼女が「自ら死を望んだ」ということは、トートにしてみれば「生きたお前に愛された」ことになるわけだから、彼の願望はこれで満たされるのでしょう。 目的を達成したら、望み通りすみやかに彼女の命を絶ちます。トートの愛はこれにておしまい。彼はあくまで「生きたお前に愛されたかった」のであって、「死後も黄泉の国で末永く一緒に暮らそう」とは思っていなかっただろうと、わたしは推測しています。 こう考えると、足掛け45年にわたって片思いを募らせたトート閣下が、エリザベートと心を通わすのは、彼女の死に際わずか一瞬だけということになるのか…。はかないのね。 でもエリザベートの立場で考えてみると、「死を望むこと」は本当に「トートへの愛」なのかなあ…。彼女は「自由な魂安らげる場所へ」行きたいわけで、「愛するだれかの元へ行きたい」とは言っていないものね。ここで言う「愛」とは、「憧れ」とか「思慕」に近いものでしょうか。 つまりトートとエリザベートは「一瞬だけ心を通わす」といっても、実はちょっとずつ違う感情を重ねていることになるのかな。ま、二人が満足してるならそれでいいか。俗世の人間のカップルだって、似たようなものかもしれません。 でも、こんな自己流の解釈だと、あんまりロマンチックじゃないですね…。
by redandblackextra
| 2005-09-13 23:59
| 舞台にまつわる話
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