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『ダンス・オブ・ヴァンパイア』 踊れませんでした
「ブラックなコメディ」にはなり得なかったのでしょうか、東宝のTDVは。
子どもでも楽しめるドタバタ喜劇でありながら、ちょっと斜めから見ると、背徳の快楽とか、因習に縛られた人間に対する皮肉とかいう大人向けの味付けも楽しめる…。そんな可能性を秘めた作品なのかもしれないなと、観劇後にドイツ版CDを聴き直しながら思いました。だけど帝劇で観る限りでは、今ひとつ毒が効いてる感じがしません。なんだか物足りないのです。 だから最後、「同じヴァンパイアなら踊らにゃソンソン」とばかりにみんな踊り狂ってるシーンでも、あんまり感情移入できませんでした。 ひょっとして日本版の上演に際しては、「毒っぽいテイストを出すよりも、なるべく楽しく愉快に見せましょう」という方針があったのかもしれません。だって、そうとでも考えないと、ラストの歌でこんな言葉が使われている意味が分からないんですもの。 ♪ 真っ赤に流れる血が欲しい モラルもルールもまっぴら …な、なんなんだろう? ちょっとワルぶってるつもりかもしれないけど、青空の下で若者が肩組んで叫ぶのが似合う感じの歌詞だわよ。70年代のフォークソングっぽいというか。 これはカーテンコールで客席も一緒に歌う(歌わされる)ナンバーだよね。妖しく魅惑的な吸血鬼の世界に観客を誘い込むつもりなら、申し訳ないけどこの歌詞では心そそられません。いっそのこと、「自分も人間やめちゃおっかなー。ヴァンパイアになって毎日楽しく人の血吸って暮らせたらいいなー」と退廃的な気分にさせられる魔力がほしかった。 フィナーレでヴァンパイアが乱舞しているのは、「抑圧から解放されて、欲望のままに弾けようぜい!」ということが言いたいのでしょうか。でもその前提として、この物語で登場人物が感じている「抑圧」がどんなものなのか、よく伝わってきませんでした。もちろん劇中で説明はされています。「厳しい親にうんざりのサラは、外の広い世界に興味津々」とか「シャガールは婚姻外の恋愛もしたい」とか。だけど、そこに自分の気持ちを重ねてワクワクできる芝居運びになっているかどうかは別問題。残念ながらわたしは、「モラルもルールもまっぴら」という感情を共有するほどには気持ちが盛り上がりませんでした。 愛人のマグダとゲイのヘルベルトは目立つ役でありながら、ストーリーの進行には大して影響を持ちません。でも人間社会の規範から解き放たれた自由な生き方を象徴しているから、この作品には欠かせない存在なのでしょうね。 なるほど、そこは共感できる。だからヘルベルトのシーンだけは、あんなに楽しめたんだなあ。番外編で『ダンス・オブ・ヘルベルト』なんて作ってくれたら、また観にいきたいわ。
by redandblackextra
| 2006-08-08 02:21
| 舞台にまつわる話
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