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> ♪このままの僕/アタシを愛してほしい
『モーツァルト!』の曲をふんふんと口ずさむことの多いこのごろですが、「このままの僕を愛してほしい」という歌詞で、ちょっと引っ掛かりました。

なんか似たような話で最近感銘を受けなかったっけ?

そうでした。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』です。
6月に観たときの感想、こんなこと書いてました。一部抜粋。

====================
「(生き方を決めるのは)橋でもなく、壁でもなく、アタシ!」という歌詞に、心が共鳴した。このミュージカルは、世間の目と自分の生き方との間に溝を感じながらも、プライドを失わないヘドウィグの叫びそのもの。このテーマに、自分はとても惹かれる。
=====================

「自分の生き方を認めてほしい」と叫んでいるところが、似ています。
それに二人とも、ジャンルや時代こそ違え、同じミュージシャンだ。

でもどこか違う。
まず、モーツァルトは天才だけど、ヘドウィグは(たぶん)凡人。
こればかりは致し方あるまい。

けれどもっと大きな違いは、「自分の影」との付き合い方じゃないでしょうか。

モーツァルト(ヴォルフガング)は、才能という影から逃れたい、ありのままの僕を愛してほしいと願うけど、生きてるうちにそれを果たすことはできませんでした。おそらく、「才能から逃れたありのままの僕」なんて存在しないのです。天賦の才も人間くさい部分も、全部ひっくるめた存在こそが自分自身。それを受け入れて生きるのが、モーツァルトには許されないことだったのでしょうか。世間の賞賛を浴びながら、それに押しつぶされるように亡くなってしまう。

一方、ヘドウィグにとっての「影」とは、彼が子どものときから探している「失われたカタワレ」でしょう。カタワレに愛されて、早く完全な自分になりたい。でも手ひどくフラれたヘドウィグはやがて気づきます。自分に足りないものを、他人が与えてくれるなんてことはない。自力で見つけるしかないのだ…。ラストの「信じてほしい、君は完全だと」という歌からは、自分の生き方を自分で認めることのできた穏やかな喜びが伝わります。疎外され続けた人生の果てにつかんだプライド。

単純に比較はできないし、どちらのミュージカルも好き。
ただ個人的により強くシンパシーを感じるのは、ヘドウィグかもしれません。なんでだろ。
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by redandblackextra | 2005-07-29 23:58 | 舞台にまつわる話

観劇と読書が好き。いや、ほかにもあるかな。当面の間は、ぼちぼちマイペースで更新します。
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